導き手

日常生活から解き放たれた就寝中が最も自由に意識が行動できるためなのだろうか。

私は時々睡眠中の夢の中に現れる存在に案内されて学びを深めてきました。

 

夢の中に現れるたびに姿は見ているはずなのにどういう訳かどんな姿形をしているのか記憶にありませんでした。このような疑問を持った時、一度だけその姿を目覚めた後でも覚えていたことがあります。

 

彼は宇宙人のグレイのような格好でしたが、グレイでは無く、ホワイトでした。そして、結構優しい目をしていました。たぶん、ネット上で見つかるグレイの絵とは雰囲気が大分違います。

 

「やあ、俺だ」、「おい、出かけるぞ」などと寝ぼけている私を夢の中で目覚めさせてくれました。目覚めさせてくれました。夢の中で目覚めて行動するというのは起きている時よりも頭脳が明晰になっているような感じで割と気分の良いものでした。

 

夢の中で私をどこかに連れて行って、その時のテーマに沿った学びの環境に放り込んで…。後は私が色んな体験をしているのをモニターしているみたいでした。一段落付くと、「どうだった?」と感想を聞かれ、いろいろと話していく内に考えがまとまっていくと言うようなパターンで学びは展開されていきました。

 

このような学びは何年か前に一応一段落付きました。それ以後は教えてもらうと言うパターンは終了し、自力で探索して道を切り開くことが求められるようになりました。

(2020/07/09)


青龍との邂逅

もう大分昔の話、あれは確か1999年。

ある夜、夢の中で目覚めた私はこの写真のような場所に

ポツンと佇んでいる自分に気づきました。

 

ああ、また、夢の中で目覚めてしまったんだ…。

荒涼とした目の前に広がる景色をぼんやり眺めていると、ちょうど真ん中辺りに池があるのに気づきました。

するとその池の中から何か大きな黒っぽいものが飛び出してきました。

何だろうと思って目をこらしてよく見てみると…、松の木?

しっかり目を凝らしてみると、それが龍であることに気づきました。

 

次の瞬間、私はその龍の背中に乗っかっていました。「まんが日本昔話」のオープニングのようなゆったりとした飛び方では無く、もう少し激しい動きだったことを覚えています。それと印象的だったのはその背中の皮膚感が苔生した松を連想させたこと。それは見かけだけで実際には松の木のような堅さはありませんでしたが…。

 

そして、その龍は私に「恐れず自分の信じた道を進め」と言ってくれました。

(2020/03/27)


自由と束縛

スピリチュアルな世界への関心が高まり、今ではパワースポットという言葉も日常に抵抗なく使われるようになりました。

 

人間が自由に使えるのは「こころ」だけなのです。スピリチュアルとか、宗教に関心を寄せることは問題ありませんが、そういう世界の団体とか組織に巻き込まれてしまうと心の自由が奪われてしまうことが多いのでお気を付けください。


呼べば答えてくれる

スピリチュアルな世界に足を踏み入れるということは、いずれ神仏との関わり合い方を考える必要が出てきます。

 

私は「神仏はエネルギー的存在」であり、そのエネルギーは人々の思いに応じて無限に送られてくるものだと考えています。

 

神仏のエネルギーが有効に働くためには心の使い方が大切です。

「商売が上手くいきますように」と願えば、商売が上手くいきますようにと祈る必要があるような現実が現れてきます。